24系「日本海」(旧2・3号)

24系「日本海」(旧2・3号・JR東日本編成)

大阪~青森を日本海縦貫線経由で結んだブルートレインが、この「日本海」です。

2000年代まではJR西日本所属車による「日本海」1・4号、JR東日本所属車による「日本海」2・3号が運行されていたものの、2008年3月にJR西日本車は引退。同時に1往復化され、JR東日本所属車で1往復の運行が廃止まで継続されていました。このページでは、そのJR東日本編成を取り上げます。

ブルートレインの縮小が進む中、この「日本海」は2012年まで「オール開放寝台」でありながら生き残ってきました。GWや年末年始、その他修学旅行シーズンなどはまとまった利用があるようで、満員御礼の日もたまにあったからだそうです。

しかし、それ以外の日の利用者は極めて少なく、LCCなど安い移動手段の台頭もあってか2012年3月で定期列車としては廃止され、その後2013年1月で臨時列車としても事実上運行終了となりました。

(左)が大阪~青森全区間を牽引するEF81、(右)が客車の様子。私が取材した日はトワイライト色のEF81が牽引の任にあたっていましたが、メインは赤色のEF81が牽引します。

(注)
JR各社からは「日本海」の廃止が公式に発表されていないため、当ページでは「廃止」ではなく「事実上運行終了」と表記しています。

もっとも日本海縦貫線の一部は第三セクター化、所謂ブルートレインの車両が全車廃車されたいま、「日本海」の“復活”は現実的に不可能であるためか、2020年代以降の趣味誌やファンサイトなどでは「廃止」と解説されるのが一般的(単なる管理人の肌感覚ですが)のようです。

行先表示の様子。JR東日本所属車は、国鉄時代からの行先表示を最後まで残していました。

モケット

(左)A寝台
(右)B寝台

撮影日時・場所

撮影日:2011年9月

撮影場所:大阪駅 青森駅 「日本海」号 車内

備考

・>>24系「ふれあいらんど岩泉 ブルートレイン日本海」の項目も併せてご覧ください。

・2008年3月まで運行されていた、JR西日本所属編成による「日本海」(旧1・4号)の様子は>>こちらからご覧いただけます。

A寝台

「日本海」のA寝台は、「銀河」亡き後は「きたぐに」と並んで国内最後の「開放型A寝台」でした。開放型A寝台とは、2段式の寝台がプルマン式(線路と平行にベッドが並ぶ)に並ぶものですが、この「日本海」の廃止とともに、日本国内の「プルマン式A寝台」は終焉を迎えています。

写真はA寝台のオロネ24形を側面から見た様子(左/上)。大窓上に小窓がある以外は、他のB寝台車と大差ない外観です(右/下)。

車内の様子。車内はパープル系のカーテンのせいか随分こざっぱりした雰囲気です。通路の赤い絨毯が、この車両がアッパークラスたる「A寝台」であることを静かに主張していました。

A寝台 下段

下段寝台のアップ。B寝台と比較して「寝台の横幅はB寝台の700mmより広い1000mm」「荷物置き場があるので寝台を寝るのに目いっぱい使える」「大窓からの眺望を独り占めできる」などの差別化こそありましたが、現代のアッパークラスに見慣れてしまうとその格差は“ささやか”だったように感じずにはいられません。

そういえば「日本海」2・3号では、A寝台でも常備式のスリッパが使用されていました。JR西日本持ちの編成で運行されていた「日本海」1・4号では紙製の使い捨てスリッパでしたが、この違いは会社間のポリシーによる違いでしょうか。興味深いところです。

枕のアップ(左/上)と、窓際のテーブルの様子(右/下)。寝台のサイズに合わせて、枕もB寝台のそれより一回り大きい、専用のものがセットされていました。

また、窓側には収納式のテーブルがついており、下の支え棒を動かして展開~収納します。飲み物を置いたり、(やや姿勢はきついですが)軽い食事にも使えたりするサイズでした。

A寝台 上段

上段寝台の様子。デビュー当初こそ「上段寝台なのに起き上がれる」と持て囃されたそうですが、寝台幅は900mm、景色ものぞき窓のような小窓(右/下)のみと、下段寝台との設備差は歴然としていました。

そのため寝台料金は下段の10,500円に対し、上段は9,540円と960円安い料金が適用されていました。もっとも(私も含めて)「1000円程度の差なら…」と思う人は少なくなかったのか、何度か乗車した限りでも下段寝台に人気が集中していたように記憶しています。みんな考えることは同じなのでしょう(笑)。

A寝台 天井

天井(左/上)と、寝台番号表記の様子(右/下)。照明は蛍光灯ですが、カバーが丸みがかったものになっています。こういうところもB寝台との「差別化」なのでしょうか。

寝台番号表記にはA寝台を示す「A」の文字が。Aの文字に「上」「下」が並ぶのは、当時すでに時代の潮流から完全に取り残されていた「開放型A寝台ならでは」の光景でした。

A寝台 喫煙室

A寝台の入口(大阪方)には、ボックス席型の喫煙コーナーがあります。

ボックス席部分は、下段寝台と同じものを使っているようですが、寝台状への転換はできません。大きな枕カバー、肘掛のカバーなど、国鉄型車両のノスタルジーにあふれた空間でした。

なお更衣室(後述)も含め、この喫煙コーナーはA寝台の利用者専用です。B寝台の利用者は、最初から喫煙号車を予約するか、喫煙号車まで行って通路上で吸うよう案内されていました。

A寝台 デッキの設備

デッキのシャッター(左/上)、デッキと客室の仕切扉(中)、更衣室(右/下)を一挙に。デッキのシャッター部分は「倉庫」の表記がありますが、取材時に車掌の方に伺ったところによると、もっぱら予備リネンを入れるのに使用していたとのことです。

更衣室(右/下)は、(その気になればB寝台からも入れる場所にありましたが)A寝台の利用者専用です。中から鍵をかけることもでき、鏡・テーブルが備わった本格的な作りでした。

B寝台と比較して、寝台の設備は(失礼ながら)そこまで大差ないものの、更衣室のような“A寝台専用サービス”はアッパークラスであるA寝台としての「矜持」を感じます。

B寝台

続いて編成中の大半を占めていたB寝台を見ていきます。車内の全景(左/上)と、下段寝台の様子(右/下)。写真は喫煙号車で撮影したため、通路の窓間に灰皿が設けられているのが特徴です。

上段寝台の様子。一部の上段寝台は、見ての通り転落防止のヒモが増強されています(右/上)。この改造は車両単位で行われたようで、私が乗車した際も黄色いヒモがある号車とない号車がありました。

この仕様は青森所属の24系25形、それも一部車両のみのオリジナル仕様と思われ、「日本海」のほか、B寝台車が「日本海」と共通運用されていた「あけぼの」の一部号車でも見られました。

寝台番号(左/上)と、非常用のSOSボタンなど(右/下)。

SOSボタンのピクトグラム上には、謎のプレート差しと思われるモノ(白い横長のもの)がありますが、どんな用途に使用するものなのでしょう?

洗面台・トイレ・冷水器

洗面台(左/上)、トイレ(中)、冷水器(右/下)を一挙に。「日本海」のB寝台車は、青森所属時に体質改善工事を受けた車両が最後まで使用されていました。この体質改善工事時、車内は寝台のモケットやカーテン、カーペットまで全て「」系でコーディネートされています。

しかし、あろうことか洗面台とトイレまで「」系に統一したらしく、ご覧の通り洗面台のシンクは、トイレ内に至っては化粧板から便器まで全てと、猛烈なまでの「」押しな内装でした。

体質改善工事を行った際の内装のテーマカラーがだったのでしょうが、それにしても(特に)トイレは「そこまでやる…?」と言いたくなるほどの」全開な室内だったように感じます。

おまけ

最後におまけとして、冷水器の紙コップに水を注いでみた様子(左/上)をご紹介します。

どこか金属臭のする妙に冷えた水を、ペラッペラの紙コップで飲む。これぞ「国鉄特急の味」と思う人は、恐らくもう30代以上でしょうか(苦笑)。
決しておいしい水ではありませんでしたし、形状的に“飲みやすい”とは程遠い紙コップでしたが、今では良い思い出です。

(右/下)は、翌朝青森駅に到着して車庫へ引き上げていく際の様子。青森駅から青森車両センター(当時)間の牽引は、同所所属のDE10機関車により行われていました。

概説

デビュー年:1972年(車両)

寝台列車の主力車両。当初B寝台は3段式で登場したが、その後寝台列車の需要減少や設備改善のために、現在は全てが2段式になっている。

車体構造はその前に登場した14系とほぼ同様だが、1972年11月の北陸トンネル火災事故の教訓をきっかけに防火対策を強化したほか、電源は集中電源式が使用されている。

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