ブルトレ紀行「銀河」「富士」(2007年12月21~23日)

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12月21日 「銀河」で大阪へ
12月22日 0系新幹線で広島~普通列車で小倉へ~「富士」に乗車
・12月23日 「富士」で迎えた朝

12月23日

目が覚めたら静岡駅に停車していた。昨日の夜19時30分頃に寝て、まるまる12時間寝てしまったことになる。せっかくの寝台列車なのに、そのほとんどを寝て過ごしてしまったのだ。
悔しかったが、ソロはそれだけ快適ということが分かった、ということにするしかだろう。

静岡から車内販売が乗ってきたらしいので、ホットコーヒーを購入して朝飯にする。
富士、沼津と停車していくが、その度に隣の普通列車のお客さんとか、駅で待っている人にジロジロ見られるのはどうも気分がいい。寝台列車に乗っているという「ステータス」を感じられる瞬間だ。

(左)23日の朝食。静岡を過ぎた列車内で九州の駅弁を食べるのも不思議な感覚。
(右)A寝台の人から頂いた手ぬぐい。ヘッドマークのプリントはブルトレならでは。

食事をしてから、車掌さんのところへ行って、A寝台撮影の許可をもらってからA寝台車両へ向かった。
適当なあいている部屋を見つけて写真を撮っていると、廊下を通りかかった60代くらいの男性が、ニヤニヤしながら声をかけてきた。

なに、ブルトレが好きなの?
「はい、きのう横浜から小倉へ行って、折り返してきたんです。もうなくなるじゃないですか?」
へぇ、オレも横浜だよ。どこに乗ってるの?A寝台?
「B寝台のソロです。」
やっぱ若いもんは金がないからきついよなぁ。オレも若いときはB寝台だったよ。ほら、昔は3段だっただろ?あれは今から思うとすごく狭かったよなぁ。

と、昔のブルトレの話をいろいろ聞かせてもらった。
話も弾んできたので、途中からそのおじいさんの部屋に招待してもらって話を聞くなど、なかなか面白かったぞぉ。

この男性は、若い頃から鉄道に惹かれていたらしい。
生まれが九州で、早いうちに東京に出てきたため、「はやぶさ」は20系時代から何度も乗ったという。
ちなみに今日は宮崎や鹿児島を旅行した帰りなのだそうだ。

しばらく話していたら、彼はふと思い出したように言った。

そういえば、A寝台には洗面タオルついてるの知ってるか?
「洗面タオルですか?いえ、聞いたことないです。ついているんですか?」
そうだよ。見てみるか?

そうやっておじさんは、私の前に自慢げにタオルを掲げて見せた。
見て驚いた。「さくら」「はやぶさ」「富士」のヘッドマークが、美しくプリントされているではないか!

「こんなのついているんですね!知りませんでした。カッコイイですねぇ。」
だろ~?やっぱA寝台だからな。って、そうだ、これオマエにやるよ。
「え、いただけるってことですか?」
うん。オレ、来る時もこれだったし、そうでなくても何度も乗ってるからさ、タオル家にけっこう溜まってんのよ。これ以上たまってもあげる人いないし、どうせA なんて乗れないだろ?♪ あ、もちろんオレ使ってないからな。
「ありがとうございます!!」

ということで、ありがたくいただいた。本当にありがとうございました♪
しかしカッコイイ。これは使わないで記念にとっておこうっと。

(左)東海道線のハイライトは通路から拝むことに。意外に他の乗客も出てきていた。
(右)車窓に見慣れた電車が映るようになると東京まではあと少し。

8時35分に熱海を出ると、いつものように見なれた緑帯の駅名板が目に付く。
昨日の夜は小倉にいたのに、12時間もかけて戻ってきたなんて、日本は広いんだなぁ、と妙に感動してしまった。

JR東日本区間の東海道線というと、やはり根府川の海が間近に見える区間がハイライトと言えるが、
「ソロ」の車両は、上り方向左側に個室がついているため、肝心の海は通路に出ないと見れない。
一方のA個室は右側で、なおかつ大きな窓もあるから、個室に座ってゆっくりと海を眺められる。
さっきの男性に頼んでみようかとも思ったが、さすがにそれはやめておいた。いつか自分のお金で乗るときの楽しみにとっておこう。

藤沢を通過したあたりで非常停止信号を受信して停車。どうやら川崎駅で人が線路内に入ったらしい。
電車が遅れるのは仕方がないが、東京に着いたらあとは帰るだけだし、私としては何時間でも乗っていたいから、初めて遅れたことが嬉しく感じられてしまった。

列車は5分くらい停車してから発車したが、前の電車が詰まっているせいか、イマイチ速度は上がらないまま東京へ向かった。

今回、「銀河」と「はやぶさ」という、二つの寝台列車で、それぞれ一晩を明かしてみて思ったが、やはりブルートレインの旅は開放寝台が一番楽しいと思う。
あるいは開放でなくても、どこか乗客が集まるようなフリースペースがほしい。
いろいろな地域から集まってきた人が、その列車の中では同じ「乗客」として一夜を明かし、そこでの出会いもまたすてきなもの。
「はやぶさ」のB寝台は、確かに熟睡できたものの、行きの銀河に比べればお客さんとの交流はほとんどなく、結局起きてからは個室でずいぶんと暇な時間を過ごすハメになってしまった。

ジョイフルトレイン的な要素もある「北斗星」とは違って、純粋な移動を目的としているのだからフリースペースがないのは仕方がないかもしれないが、やはりその手の設備はほしいように感じた。

(左)本来ならすでに東京に到着している時間だが、遅れで10時代まで乗車することに。
(右)終点東京に到着。

廃止まであと1年となってしまった「富士ぶさ」、すでに廃止となった「銀河」だが、近頃の低価格移動手段の台頭を考えると、寝台料金の値下げなどの対策があってもいいように感じる。
だが、それが行われないところを見ると、もはや寝台列車は「時代に合わないサービス」でしかないのかと感じずにはいられなかった。

「サンライズ」は寝台料金のいらない「ノビノビ座席」を導入して、優秀な乗車率を維持しているそうだ。「富士ぶさ」「銀河」に新型車両の導入を希望はしないが、既存の車両でゴロンとシートの導入などできないものか。
若い人が「寝台列車」を一つの移動手段としてとらえてくれたりは…、などと考えてみたりもする。

予定よりやや遅れて10時2分、多くの乗客の心を道々に残し、「富士」「はやぶさ」は東京駅に滑り込んだ。
東京駅から降り立った乗客の数はまばらで、むしろカメラを持って待ち構えていた鉄道ファンの方が多かったのは意外だった。

(* * *)

※この記事は、2007年12月に当時の私が書いた旅行記を、2022年10月に一部修正のうえほぼそのまま掲載したものです。

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