583系「きたぐに」

583系「きたぐに」

日本全国を走り抜けた583系の最後の定期運用として、鉄道ファンの間で知られた存在だったのがこの「きたぐに」です。大阪から新潟を、日本海に沿って結んでいました。

ブルートレインや夜行列車が次々と廃止されていく中、21世紀に入ってからも残存し続けた「きたぐに」。深夜帯も途中駅にこまめに停車し幅広い需要をカバーできたこと、上り大阪行きは関西空港へのアクセス列車としての利用があるなど、平日でも一定の乗車率があったためだそうです。

しかし利用者の減少・車両の経年化から、2012年3月をもって定期列車としては廃止され、その後2013年1月の運行をもって完全に廃止されました。

モケット

(左)B寝台・自由席
(中)A寝台
(右)グリーン車

撮影日時・場所

撮影日:2004年6月、2007年3月、2012年2月ほか

撮影場所:新潟駅・直江津駅 「きたぐに」号 車内

備考

特にありません。

B寝台

「きたぐに」は、設備の水準はともかくとして「A寝台」「B寝台」「グリーン車」「普通車自由席」の4クラスを備え、幅広い需要に対応していたのが特徴です。まずは編成の大半を占めるB寝台車から見ていきましょう。

車内は中央に通路があり、左右に寝台が展開する所謂「プルマン式」です。

カーテンの色は2種類あったようで、私が取材したB04編成では偶数号車が赤カーテン(左/上)、奇数号車が青カーテン(右/下)となっていました。

B寝台 下段寝台

下段寝台の様子です。座席を倒して水平にしていますが、上にマットが敷かれているので座面のデコボコは気になりません。

下段寝台部分は、昼間は2人がけボックス席として使われます。それゆえB寝台としては破格のベッド幅となっており、その横幅は実に1060mm。実際に横になってみても、脚を多少広げる余裕があるほどに非常にゆったりしていました。

もっとも、上下幅は実測750mm程度と非常に狭いのは3段寝台ゆえの“宿命”でしょうか。(身体の大きさにもよりますが)寝台内で「起き上がる姿勢」を取るのは、かなり難しかった記憶があります。

B寝台 中段寝台

変わって中段寝台の様子。

座席として使用する際の荷物棚は、ご覧の通り中段寝台部分に格納されます。うっかり起き上がったときに、荷物棚に頭を強打しないように注意が必要でした(実体験)

付帯設備はテーブルやのぞき窓、読書灯などとなっていますが、区画により若干配置が異なっていたようです。(左/上)と(右/下)を見比べてみると、同じ中段寝台ながら読書灯の位置が異なっているのがお分かりいただけるかと思います。

B寝台 上段寝台

上段寝台の様子。天井が曲がっているため、実際に潜り込むと写真で見る以上に「狭さ」を感じます。上段は床面から2m近くあるため、(私を含めた)高所恐怖症の人間にはそれだけで居心地の微妙な空間でした(苦笑)。

寝台の横幅は24系・14系と同じ700mmですが、上下幅は680mmであり、寝台内の空間はお世辞にも広いものとは言えません。

さすがに下段寝台との設備差が大きかったためか、583系に適用される寝台料金は下段寝台の6300円(当時:ブルートレインB寝台と同額)に対し、中段・上段は5250円と割引価格となっていました。

B寝台「パン下中段」

寝台料金が1050円安い代わりに、非常に狭苦しい583系のB寝台の中段・上段ですが、それゆえ「知る人ぞ知るオトク寝台」だったのが、この通称「パン下中段」または「パン下です(左/上)。

583系の電動車のうち、パンタグラフの真下はわずかに天井が低くなっており、通常の3段式寝台が設置できませんでした。
そのためパンタグラフの真下は「下段と中段の2段式」となったのですが、「下段寝台は他の区画と同一」「残った(3段式にするにはわずかに足りなかった)上下幅を全て中段寝台に使う」という設計にした結果、「圧倒的に広い中段寝台」が生まれてしまいます(右/下)。

これが「パン下中段」であり、定期時代の「きたぐに」では8号車のわずか6席のみ、臨時化されても2号車と5号車各6席・計12席のみのプレミア空間でした。

その他の車内設備

天井(左/上)と通路(右/下)の様子。

空調の吹出口は、他の鉄道車両では見かけない独特の形状でした。

寝台へのハシゴ(左/上)、車端部の荷物置き場(中)、デッキと客室の仕切扉(右/下)を一挙に。

ハシゴは、特に中段~上段が非常に狭く、すんなり上がるにはそれなりに“習熟”が必要でした。

カーテンの寝台番号表記(左/上)と、カーテンの通風孔(右/下)。

通風孔はマジックテープで固定するタイプで、寝台内部を換気するための設備です。この“換気口”は「きたぐに」のほか、「銀河」(A寝台のみ)などJR西日本の寝台車を中心に見られました。

カーテンを取り換えるだけでサービスアップできる、という同社の発想の豊かさが垣間見えるポイントですが、取材時に見た限りでは、ほとんど使われている様子はありませんでした(苦笑)。

7号車 A寝台

変わってA寝台を見ていきます。定期列車時代は7号車に連結されていましたが、臨時化に伴って編成から外れて廃車となりました。

元々583系のB寝台車を改造した車両のためか、「A寝台」といえども車内の雰囲気には大差なかったように記憶しています。

A寝台(下段)のアップ。

3段式のB寝台に対し、A寝台は2段寝台上下幅に余裕があるほか、スリッパが使い捨ての紙製であるなどの差別化が図られています。

もっとも、それ以外はB寝台と比べて特筆するような“差”はありませんでした。寝台幅もB寝台下段と同じ1060mmであり、B寝台とA寝台との3000円ほどの価格差は、実質は広い上下幅に対するエクストラチャージであった感は否めません(→「備考」も参照)

【備考:583系A寝台の生い立ち事情】

583系には、製造当初からA寝台として製造された車両はありませんでした。

「昼も夜も使える車両」がコンセプトの583系は、A寝台の車両を作ると、昼間はその車両をグリーン車として使わなければならず、「寝台」と「グリーン車」を両立できる設備の方策がなかったためだそうです。

このA寝台は、583系が「きたぐに」に導入された際、同列車にA寝台の需要が大きかったことから改造されて登場。改造された元の車両がB寝台だった以上、「A寝台ならではの設備」があまりないのは仕方なかったのかもしれません。

6号車 グリーン車

定期列車時代は6号車に連結されていたグリーン車の様子。

座席は2003年頃から載せ替えが行われ、廃車まで写真の状態で運用されていました。細部の特徴から、381系の体質改善工事時に余剰となったものの転用と思われます。

車両の高さは3段寝台に対応した583系そのままなので、座席に比して天井が異様に高く、妙に開放感のある車内でした。

B寝台とほぼ同じ値段で使用できるグリーン車ですが、私が何度か乗車した限りでは女性の利用が多かった気がします。このあたりは、好みの分かれるところだったのでしょう。

普通車自由席

1~4号車に連結されていた普通車自由席の様子です。

ボックス席がずらりと並び、横長のリネンが装備された車内は、583系の昼行特急運用時を彷彿とさせる貴重な光景でした。

座席の様子(左/上)。

座席はベッド状態にできないようにストッパー(右/下)で固定されており、座席の状態で一晩を明かすことになります。

通路・トイレなど

通路(左/上)とトイレ内部(右/下)の様子。

こちらは化粧板などが貼り換えられているものの、大きな改修はなくデビュー当時からの雰囲気を最後までよく残していました。

おまけ:字幕集

運良く字幕の回転を撮影することができたので、いくつか紹介してみます。

(左)は「シュプール」、(右)は「シュプール・妙高志賀」(姫路~長野)。スキー列車「シュプール」号はかつて日本全国に設定されており、583系もよく運用に入っていました。

続いて「ナインドリーム甲子園口」号(左)。1991~1993年まで設定された夜行列車で、新大阪~甲子園口のわずか16.7kmを結んでいました。当時は甲子園球場の付近に宿泊施設が少なく、高校野球が行われるシーズンに「宿泊所の提供」という意味合いで設定されたそうです。いわゆる「列車ホテル」ですね。

夜行列車といえども、ドアを閉めて「発車」した後は新大阪でそのまま一夜を明かし、翌日になって甲子園口へ移動するというものでした。

(右)は1989年から運行された急行「シャレー軽井沢」。運行区間は神戸~軽井沢で、大阪~京都~敦賀~金沢~直江津~妙高高原~長野~篠ノ井経由で結んだそうです。ゴルファー輸送のための列車ですが、1993年の夏を最後に廃止。ロゴの自体が古めかしく、時代を感じる気がします。

おまけ

車体銘板(左/上)と車体側面の様子(右/下)。

車体銘板の車両はクハネ581-29で、吹田総合車両所京都支所のB04編成の新潟方先頭車。昭和43年(1968年)から走り続けていました。

「きたぐに」の定期運用の終了に伴い、モハネ1ユニットとサロネが抜かれた7両編成になったあとも残存。2013年2月で45年選手だったのですが、その後同年5月に廃車・解体されています。

車内外ともに数々の改造を加えられているとはいえ、全国的に見ても、ここまで「大ベテラン」になれた車両は珍しいのではないでしょうか。

概説

デビュー年:1968年10月

昼は座席車、夜は寝台車として使えたらという発想のもとに開発された581系の50、60Hz対応版。

車内は座席時はクロスシートとなっているが、夜は座席を倒すなどをして寝台に出来る構造となっている。登場時はB寝台車ながらA寝台並みの広さがあるとして人気を集めた。

しかし、1980年ごろから新幹線の開業や航空機の発達に伴って、夜行寝台列車自体が減らされるようになった他、昼間時のクロスシートなど、設備にも見劣りが出てくるようになったため、徐々に数を減らした。またローカル線での普通列車用として、419系や715系に改造された車両も存在した。

最後の定期運用だった「きたぐに」の廃止後は、JR東日本に臨時列車・イベント列車用として6両編成1本が在籍していたが、2017年4月を以て引退し、営業用の583系は消滅した。引退後は、編成中のクハ583-17が2023年5月現在も車籍を有しており、厳密には廃系列となっていない。

タイトルとURLをコピーしました