115系「新潟地区・(長野)リニューアル車」

115系「新潟地区・(長野)リニューアル車」

鉄道ファンの間で「新潟」といえば「国鉄」と言っても過言ではなかったように思う今日この頃です。E127系などが申し訳程度に導入されてはいたものの、2010年代に入っても新潟の鈍行列車といえば115系、という日々が続いていました。高崎や長野の115系亡きあとはこの新潟の地が、JR東日本の115系にとって「最後の活躍場所」であり、「最後の最大勢力」でした。

しかし、そんな同車も“寄る年派”には敵わなかったようで、2014年に本格的な後継車となるE129系の導入が始まると一気に引退が進行。直前までまとまった数の運用があったにも関わらず、事前の告知が全くないまま2022年3月限りで完全に引退となりました。引退後はいずれも全車が廃車されています。

さて、写真は深夜の吉田駅にて発車待ちの115系。近年、新潟地区の115系は昔の「復刻塗装」が施されており、写真の編成は弥彦線で専属で使用されていた編成のいわゆる「弥彦色」を身にまとっています。さっそく車内を見ていくことにしましょう。

モケット

(左)座席 (中)床 (右)カーテン

撮影日時・場所

撮影日:2018年11月29日

撮影場所:弥彦線 吉田駅 車内

備考

当ページで紹介する115系は、「現在、新潟地区に所属」「リニューアル工事は長野時代に施行」という意味合いで「115系「新潟地区・(長野)リニューアル車」と称しております。

車内全景

車内に入ります。この車内を見て、「あれ?長野の115系の車内では?」と思ったアナタは正解。長野地区に211系が導入された際、同所に在籍していた115系の比較的状態の良い車両を新潟へ転属させ、以前から新潟にいたさらに古い(又は状態の悪い)115系を置き換える転配が行われました。2018年12月現在、新潟地区に残存している115系は全て長野から転属してきた車両に統一されており、そのため今現在で新潟の115系の車内は、ほぼ全てこの内装になります。

車内は長野在籍時代から全く変わっておらず、ロングシート脇の透明な仕切り板も、長野県花であるリンドウがあしらわれたまま。学生時分「青春18きっぷ」で長野の115系にさんざんお世話になった身としては、長野の115系なのに走っているのは新潟という、何とも言えない「ちぐはぐ」を感じます(笑)。
なお余談ですが、しなの鉄道に在籍する115系も、座席モケットや床材などが異なりますが、基本はこれに準じた内装になっています。

座席 – クロスシート

ではさっそく座席の様子を。長野地区に在籍していた115系のうち、今後もしばらくの使用が予想されていた車両は2000年前後にリニューアル改造を施されています。その際に座席は交換されており、座面にバケット構造を取り入れるなど現代化が図られています。

ひじ掛け部分に曲線を取り入れた独特のデザインが採用されていますが、これは少しでも「おしゃれ」の要素を取り入れようとした結果でしょうか。座り心地はもともとは固めだったものと思われますが、私が乗車したときは経年によるヘタりのせいか、やや心もとない感じでした。

また、背もたれ部分の張り出しがやや少ないため、深く腰掛けると直立に近い姿勢を強いられる結果に。ガラガラならまだしも4人でこのボックスを使用した時の居住性は今一つです。私も昔、この座席で松本から八王子まで乗り通した時は、途中からお尻と腰の痛みと戦っていた記憶があります(苦笑)。

国鉄型の通勤・近郊型車両のシンボルと言っても過言ではない二段窓(左/上)と、窓開け用のラッチのアップ(右/下)。このタイプの窓も近年ではめっきり見かけなくなりました。

座席 – ドア脇2人がけロングシート&つり革

ドア脇のロングシートの様子(左/上)と座席を横から見た様子(右/下)。

仕切板のアップ(左/上)。長野県花の「リンドウ」は新潟に転属後もそのまま残っています。また、つり革はドア付近とロングシート部分のみに設置されています(右/下)。

座席 – 車端部区画5人がけロングシート

車端部の区画は見ての通り5人がけのロングシートとなっています。115系のうち、初期に製造された0番台・300番台はこの区画にも2人がけロングシートとボックス席が設置されていました。しかし、1000番台以降は雪切室の設置に伴って車端部のスペースがやや狭くなったことから、5人がけロングシートへ変更された経緯があります。

写真の座席、途中から色が微妙~に異なって見えるのは写真の都合ではないようです(笑)。近年交換されたものなのかは知りませんが、どちらが元々の色なのでしょうか。

優先席 – 車端部区画5人がけロングシート

変わってこちらが優先席区画。全景(左/上)と座席のアップ(右/下)になります。つり革は、なぜか途中で一般のものと黄色の大型タイプに分かれています。
こちらも(右/下)の写真をよく見ていただくと分かるのですが、途中から“背もたれ部分”の形状が異なっており、左3人分はバケット構造、右2人分がけはバケット構造になっています。非バケット構造は、既に引退したリニューアルされていない115系で使用していたものの発生品でしょうか。

新潟の115系、引退間際はこういった「座席の細かい違い」が面白い車両でした。

フリースペース

越後線・信越本線を基準にした新潟寄りの先頭車にはフリースペースが設けられています。車いすスペース向かいのロングシートは優先席(右/下)となっているほか、奥にトイレ、向かい側にはボックス席が備わります。

フリースペースの全景(左/上)と非常通報機のアップ(右/下)。「席」はないのになぜか「優先席」のシールが貼られているのはなぜなのでしょう?(笑)

運転台直後の区画

続いて運転台直後の区画(左/上)。運転台のある写真左側は2人がけ、助手席側の写真右側は3人がけと変則的な仕様になっているのが特徴です。

助手席側の荷物棚上には、一部スペースをつぶして「保護具収納箱」なるものが設置されており、そのアップが写真(右/下)。保護具と言っても具体的に何を保護するものでしょうか。どなたかご存知の方、いらっしゃいましたらぜひご教示いただければ幸いです。

で、2人がけ席(左/上)と3人がけ席(右/下)それぞれの様子。座席そのものは単に何人がけか、という違いしかありませんが、窓の配置と戸袋窓の大きさが両者で全く異なっている点に注目です。

その他の車内設備

天井の様子(左/上)と荷物棚の様子(右/下)。クーラーと通風孔、照明が並ぶごつごつした雰囲気です。クーラーの吹き出し口部分で照明が途切れる構造のため、車内は夜間帯はやや薄暗くなります。

荷物棚は昔ながらの“網”棚。網といってもこのタイプの網はあまり見かけない気がします。リニューアル時に交換されたものでしょうか。

コートかけ(左/上)と座席番号表示(右/下)。国鉄時代の近郊型車両において、座席番号表示はもはや「定番」とも言える設備だった気がします。

国鉄メークの近郊型電車を語る上で欠かせない(と個人的に思っている)のが、この箱型スピーカー(左/上)ではないでしょうか。音質はお世辞にもいいとは言えず、トンネル内では放送が何を言っているのか全く聴き取れないシロモノでした。
とはいってもこのスピーカーからの妙にこもった音質の車内放送を聞くと「あぁ、国鉄型車両だね」と思うのは、きっと私だけではないはずです(笑)。国鉄型の通勤型・近郊型車両が全国的にも数を減らしている中で、このスピーカーも欠かせない一品と言っても過言ではないでしょう。

(右/下)は通路の様子。国鉄型~205系まで見られた、モーター車の床面にある点検用蓋がいい味出しています。

貫通扉

何となく貫通扉周りも撮影していたので紹介してみます(左/上)。長野地区に在籍していた時代に行われたリニューアルで、化粧板はグレーを基調としたものに交換されました。しかし貫通扉の裏側(客室に直接向かない側)はデビュー当初からの薄い緑色がそのまま残されています。この薄緑色も、「国鉄」を感じる貴重な要素だったように思います。

写真(右/下)は貫通路のステップ部分。さすがに経年のためか錆びが目立ち、老朽化が進んでいるのは否めません。

乗降用ドア周り

乗降用ドアの全景(左/上)と外側から見た取っ手のアップ(右/下)。手で開け閉めするタイプの半自動ドアも、JR東日本エリアではこの115系が最後ではないでしょうか。

ドア開時に戸袋に手が引き込まれることへの注意喚起シール(左/上)とドアレールの表記(右/下)。ドアレールの表記はともかくとして、(左)のシールは日に焼けなのか完全に色あせてしまっています。

トイレ

トイレの様子。3両編成のうち、越後線基準で新潟寄りの先頭車に設けられています。内装は古くからの「列車便所」といった風合いで、デビュー当初からこんな感じなのでしょう。トイレ入口脇の「便所」という、何もオブラートに包まない(笑)プレートも、今となってはいい味を出しているように感じます。

おまけ

最後におまけとして、吉田駅での新旧交代のワンシーン(左/上)と運転席(右/下)の様子をご紹介。少し前まで115系の独壇場だった新潟は、いまではすっかり銀色の先進的な電車の行き交う場所へ様変わりしています。

概説

デビュー年:1964年(車両)

113系に耐寒・耐雪構造をつけて、寒冷地でも走行できるようにしたもの。かつてはJR東日本、JR東海、JR西日本などで幅広く使用されていたが、現在は後継車に代わりつつある。

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