24系25形「出雲」

24系25形「出雲」

「>>サンライズ出雲」がなかばプラチナチケット化して久しい今日この頃ですが、2006年3月まではその前身となる寝台特急「出雲」が走っていました。

このページでは2005年12月に撮影した、「出雲」最末期の様子をご紹介します。当時、車内をまだ撮影するという発想がなかった頃なので枚数は少ないですが、資料としてご覧いただければと思います。

この「出雲」の特筆すべきところは、1997年に「>>サンライズ出雲」がデビューした後も9年間残り続けたこと。このあたりの事情は以下の「備考」にまとめたので、良かったら読んでみてください。

【備考:「サンライズ」に、すぐには吸収されなかった「出雲」】

東京から東海道本線・山陽本線を倉敷まで延々走ってから伯備線に入る「>>サンライズ出雲」に対し、「出雲」は京都から山陰本線に入って出雲市を目指す経路です。

区間は同じ東京〜出雲市でも経路が異なっていため、(「サンライズ瀬戸」に吸収される形で廃止された「瀬戸」とは異なり)「出雲」は「>>サンライズ出雲」との“共存”が可能でした。

山陰本線の非電化区間を走る寝台列車としては最後まで残ったこともあり、末期でも福知山・浜坂・鳥取などでは一定の利用があったそうです。しかし利用者の減少は続き、2006年3月をもって廃止されました。

撮影日時・場所

撮影日:2005年12月

撮影場所:「出雲」 東京駅 車内

備考

この写真を撮影した2005年当時、私はまだ義務教育期間中だったため、写真の質についてはお許しください。

1号車 A寝台「シングルデラックス」通路

廃止間際の「出雲」は、1号車のA寝台「シングルデラックス」と8両の開放型B寝台という9両編成で運行され、車両はJR東日本尾久車両センター(当時)所属の24系25形が使用されていました。

まずはA寝台「シングルデラックス」から。もともとこの車両は開放型B寝台からの改造のため、廊下にはその面影が残っているのが特徴でした。

廊下には灰皿(左/上)と靴ブラシ(右/下)の様子。

靴ブラシが備え付けてあるあたりに、「シングルデラックス」がかつてターゲットとした“客層”が垣間見える気がします。

「シングルデラックス」個室内の様子。

後年JR九州車は寝台モケットの交換など内装の更新が行われた一方で、このJR東日本所属の車両は最後までデビュー当時からの内装を維持非常に貴重な存在でした。

【備考:九州ブルトレの“花形”だった「シングルデラックス」】

この「シングルデラックス」を引っ提げたオロネ25形は「出雲」のほか、「はやぶさ」「富士」などいわゆる九州ブルトレにも幅広く投入されました。

デビューした1976年当時、A寝台の一人用個室といえば20系の「ルーメット」のみ。そこから大幅なレベルアップが図られた「シングルデラックス」は多くの鉄道ファンの憧れだったようです。

国鉄分割民営化時にオロネ25形の大半はJR九州へ引き継がれ、「出雲」(と「瀬戸」)用としてJR東日本に引き継がれたのはわずかでした。

ゴミ箱・灰皿・カミソリ用コンセント・テーブルなどの付帯設備(左/上)と、空調や照明のコントローラー(右/下)。

ダイヤル式のツマミ、無骨なスイッチ類など、あくまでアナログなのが「時代」を感じるポイントでした。

天井の様子。(左/上)が通路側、(右/下)が窓側です。

個室の前後幅こそ広くありません(というか「ソロ」と大差ないです)が、車体断面の縦幅を完全に専有できる開放感は、この「シングルデラックス」ならではだったと感じます。

B寝台

変わってB寝台車の様子。

「出雲」の24系25形は、1987年頃から開始された「あさかぜ1・4号」向けのグレードアップ工事を施した尾久車両センター所属の車両が使用されていました。パッと見で、通路に「絨毯を設置」「寝台のモケットを茶色系統のものに交換」「カーテンの交換」などが行われているのが分かります。

B寝台下段の様子。

寝台のモケットには、「こげ茶色」(左/上)と「明るい茶色」(右/下)があり、車両によって異なっていました。特に偶数号車・奇数号車で統一されることなく、ランダムだった記憶があります(→「備考」も参照)

【備考:他にもある「こげ茶色」モケット】

JR北海道所属の>>「はまなす」の増結用B寝台車でも、この「こげ茶色」モケットが採用された車両がありましたが、あちらはJR北海道で更新工事を受けた車両です。従って、この「出雲」のそれとは出自が異なります。

B寝台上段の様子。

ベッド下のカーテンの色も「こげ茶色」(左/上)と「明るい茶色」(右/下)で異なっていました。

5号車 食堂車(フリースペース)

「出雲」では、5号車に食堂車が連結されていました。

かつては実際に「食堂」として営業していたものの、1991年で営業を終了。その後も編成からは外されず、廃止までフリースペースとして残っていたのが特筆されます。

食堂車の全景。「出雲」「あさかぜ1・4号」向けにリニューアルされた食堂車で、営業当時はスターダスト・ラウンジ」という愛称までついていたそうです。

なお、当時はまだ「同じ構図で何枚も撮って手ブレなどのリスクヘッジをする」という発想がなく、ブレブレな写真ですがこれしかなかったのでお許しください。

食堂のテーブル(左/上)と、サロン区画(右/下)。

サロン区画の写真で見切れていますが、化粧板には星空(=スターダスト)が描かれていました。

「出雲」概説

東京~出雲市を、東海道本線と山陰本線を経由して結んでいた寝台特急。非営業ながら食堂車を連結していた。2006年3月の改正で廃止。

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