0系新幹線「リニア・鉄道館」保存車 食堂車・運転席 編

目次

普通車
食堂車・運転席

0系新幹線「リニア・鉄道館」保存車

続いて先頭車の後ろに連結されている食堂車(左/上)を見ていきます。

写真は食堂車の通路側で撮影していますが、ご覧の通り(普通車などと比較して)窓がやや高い位置に配置されているのが外見上の特徴です。

備考

撮影にあたっては、事前にスタッフの方に許可をいただき、一定の条件の下で撮影をしております。

また、「保存車の座席は着席禁止」という同館のポリシーに従い、撮影時は座面に触れないよう細心の注意を払って撮影しています。

撮影日時・場所

撮影日:2017年01月・2019年6月(一部)

撮影場所:名古屋 リニア・鉄道館 館内

食堂車 入口

食堂車の入り口側から。

食堂のマークと「ただいま満席です」のランプがなかなかいい雰囲気を出しています。ちなみにリニア・鉄道館では、食堂車の見学者の多寡にかかわらず常時「満席」表示が点灯しているようです(笑)。

食堂車の通路(左/上)と、「マウント富士」計画(後述)で設置された客席部分の窓(右/下)。

0系の食堂車は新幹線の幅広い車体を生かして、通路と食堂内が完全に分離されていますが、これは国鉄型車両でも初の採用だったとのこと。通路幅も大人一人+αの幅が確保されており、通り抜ける分にはゆったり歩けます。

また、通路は木目調を多用した豪華な雰囲気に仕上がっており、当時の国鉄の意気込みが垣間見えます。

【備考:「マウント富士計画」について】

食堂車がデビューした当初、食堂の室内と通路の間には窓が設けられていませんでした。この通路は富士山の見える側にあったため、当時の国鉄に「食事しながら富士山が見たい」という意見が乗客から数多く寄せられます。

これを受けて、1980年頃から順次通路に窓を設ける改造がスタート。この改造が、関係者の間で通称「マウント富士計画」と呼ばれていました。

改造後は、食事しながら富士山が“一応”見えるようになったものの、富士山の眺望は結局通路越しです。さらに、ピーク時は通路に順番待ちの客が滞留して富士山を見るどころではないなど根本的な解決には程遠かったのが現状でした。

その後に登場した100系では、この問題を解決するために食堂車が2階建て(=通路と食堂を上下分離)とされています。

車内全景

食堂車の全景。

車内は片側が2人がけ、もう片側が4人がけの配置です。壁越しに通路が設けられているとはいえ、狭苦しさは全く感じません。さすが新幹線の大きい車体幅と言ったところでしょうか。なお、リニア・鉄道館では食堂車の各卓部分は立入禁止となっており、入口部分のみが公開されています。

海側の2人掛けテーブル(左/上)と山側の4人掛けテーブルの様子(右/下)。

テーブル上には調味料入れや灰皿など、当時を偲ばせる備品がセットされています。

天井(左/上)と厨房の様子(右/下)。

天井は間接照明とダウンライトで照らす仕様。0系の食堂車が登場した1970年代はもちろん、今日にも通用するほど洗練されたデザインのように感じます。

デッキ

順番がやや前後してしまいましたが、最後に先頭車デッキ部分を見ていきます。デッキ部分の全景(左/上)と「くずもの入れ」のアップ(右/下)。

(左/上)の冷水器上にあるスペースには、かつて浜名湖を駆け抜ける0系の写真が入っていました。山陽新幹線で最後まで残った0系でも見られましたが、「リニア・鉄道館」展示車では撤去されており、単に“枠”が残るのみとなっています。

冷水器の全景(左/上)と、紙コップ取り出し口のアップ(右/下)。

冷水器は、稼働こそしていませんが残っています。かつて新幹線には必ずあった設備で、2020年代で30代以上の方はギリギリ“知っている世代”ではないでしょうか。ペラッペラの紙コップで飲む、妙に冷えた水が懐かしいです(→「備考」も参照)

【備考:東海道・山陽新幹線の冷水器事情】

新幹線の冷水器はその後100系・300系・500系まで継承されたものの、700系以降では新製当初から未設置となっています。

500系以前の車両に残っていた冷水器はしばらくそのまま使用されていましたが、2000年代初頭に全てサービスを終了。以後はカバーで覆ったり冷水器の本体を裏返したりするなどして使用停止とされていました。

洗面台

洗面台も一般公開されています。全景(左/上)とシンク部分のアップ(右/下)。

このタイプのシンクは、国鉄型車両のもはや「定番」ともいえる仕様です。シンク脇にはコップ差しがあり、0系新幹線の現役時代はプラスチック製のコップがセットされていました。「うがい用のコップが共用」というのも時代を感じる気がします。

運転台

「リニア・鉄道館」保存の0系は基本的に普通車と食堂車のみが常時公開されていますが、不定期に運転台の見学ツアーが実施されています。たまたま私が訪れた際に見学ツアーに参加できたので、こちらで紹介します。

運転台の右側には「12次車」の表記があり、その脇には各号車の投入次数を記載した金属製の表が。「同一編成内に製造時期の異なる車両が混在」する0系ならではの仕様と言えそうです(→補足)

【補足:「車両単位」で進化した0系の歴史】

東海道新幹線の開業から一貫して増備されてきた0系は、開業後12両編成から16両編成への増結・食堂車の連結など、途中から次々と車両の組み込み・組み換えが行われた経緯があります。

そのため「同じ編成内でも車両により製造時期がバラバラ」で、例えばある編成内に古い0系が1両あった場合は、その1両だけ新しい0系に差し替える「車両単位」での置換を行っていました。

しかし「車両単位」で置き換える場合、新しい0系には古い0系との互換性が必要になります。同じ編成内でも車両により製造時期が異なる以上、「どんな(に古い)0系とも連結できる仕様」はマストだからです。

これでは基本の性能をなかなか上げられません。そのためか、100系からは(上記の問題が発生しない)編成単位」での投入・置換に移行しました。

余談ですが、上記の理由から0系には「〇号車だけ妙に内装が古い」というような編成が2000年代初頭までちらほら残っており、マニア的に面白かった記憶があります。

運転台のアップ(左/上)と運転士目線のイメージ(右/下)。

新幹線ではブレーキよりマスコン(=クルマのアクセルに相当)を多用することから、在来線とは逆の「ブレーキが左、マスコンが右」となっています。

この仕様は現代のN700系にまで受け継がれており、0系が「新幹線の礎を築いた」と言えるポイントかもしれません。

運転台のスイッチ類(左/上)と無線機らしき装置(右/下)。

スイッチ類の上には、スピードメーターがもう一台搭載されています。スタッフの方によると、こちらは予備の「補助速度計」。速度発電機(平たく言うと速度を計測するための機構)メインの速度計とは別系統になっているそうです。

【備考:「リニア・鉄道館」の0系運転台見学について】

この運転台は、基本的に「非公開」「係員の立会のもと見学」する場所となっています。そのためか、機器類に保護カバーなどは一切設けられていません。

より現役時代に近い雰囲気を味わえる貴重な運転台ゆえ、見学時はスタッフの方の指示に必ず従いましょう。

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概説

デビュー年:2011年(リニア・鉄道館での展示開始年)

2011年に愛知県にオープンした「リニア・鉄道館」に展示されている0系新幹線を取り扱う。
先頭車(普通車)である21-86は1971年製造で、製造から一貫してほぼ「こだま」で運用された。JRの分割民営化後はJR東海に所属し、1991年まで使用された。

その後はJR東海の浜松工場で保管され、時折同所の一般公開で展示される程度だったが、リニア・鉄道館における保存車に選定され、2010年に登場当初に近づける復元作業を経て現在に至っている。

他方食堂車の36-84は1975年に製造され、当初から「ひかり」で運用。民営化後はJR西日本に所属し、食堂車を組み込んだ最後の編成となったNH32編成に連結され1999年に廃車。その後はJR東海へ保存目的で譲渡され、リニア・鉄道館へのオープン時に同所へ搬入された。

普通車は保存のため座席への着席やカーテン類の展開は禁止されているが、内装は0系新幹線のデビュー当時に可能な限り近づけた仕様となっており、往時の雰囲気を感じられるようになっている。また、食堂車は一部区画のみが公開されている。
なお、リニア・鉄道館にはグリーン車とビュッフェ車も保存されているが、現在は一般公開されていない。

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