20系 国民宿舎「関ロッジ」 ナハネ20 2237

20系客車ブルートレイン 国民宿舎「関ロッジ」 – 個室/車内設備

20系客車をやや遠巻きに撮影した様子(左/上)と、車両番号の表記(右/下)。

ナハネ20系2000番台は、12系の電源装置から給電して混結できるよう改造されたグループです。

この車両の最後の所属だった「米ヨナ」の表記(左/上)と自重・換算・全般検査などの表記(右/下)。表記によると、1982年8月に全般検査を行ったようです。

モケット

(↑)寝台

撮影日時・場所

撮影日:2014年3月2日

撮影場所:国民宿舎「関ロッジ」 車内

備考

当項では、2014年3月の営業当時の写真を紹介しています。2023年3月現在、「関ロッジ」は民間により運営されており、20系客車への宿泊はできません。

個室内 廊下

非常口(左/上)と開け方の説明(右/下)。説明記載のフタを開けると中にハンドルが入っており、それをカギ穴に突っ込んで回すというもののようです。

なお私が取材した時はフタが固着あるいは接着されており、開かなくなっていました。ドア上に「非常口」のサインもないことから、「関ロッジ」への移設後は使われていなかったものと思われます。

温度計(左/上)と寝台番号の表記(右/下)。

現役時代は各ボックスごとについていたこの番号表記は、「関ロッジ」での個室化改造時に撤去されています。1号室「ひかり」脇には残っていますが、よく見ると紙でできたレプリカでした。

通路の椅子(左/上)と通路天井(右/下)の様子。

天井にはスピーカーが増設されていますが、これは関ロッジ全体の館内放送・非常放送用とのこと。私の宿泊時も、「まもなく門限の時間です(→「コラム」を参照)」「朝食の準備ができました」といった放送が聞こえました。

【コラム:関ロッジの門限事情】

「関ロッジ」が国民宿舎だった頃は「門限」があり、23:00以降は正面入口が施錠されていました。20系客車へは正面入口を経由しなくても出入りできますが、23時以降は入口階段にカラーコーンとコーンバーが置かれ、出入りが規制されていたと記憶しています。

私の取材時にも、「本館は23時以降入れないので、風呂や買い物は必ずそれまでに済ませるように」とフロント係の方から念押しされました。

洗面台・トイレ

洗面台・トイレ・冷水器が並ぶデッキ部分の様子。あえて縦撮りしてみましたが、このアングルだと20系の天井が丸いのがよくお分かりいただけると思います。

デッキには、使用はできないものの冷水器も残っていました(右/下)。

洗面台(左/上)と化粧直し用の鏡(右/下)の様子。

水回りは「関ロッジ」への移設時に一般家庭用のものに交換されており、現役時代とはやや雰囲気が変わっているものの、実車と同じ3台のシンクが並んでいました。

洗面台には「電気カミソリ用」のコンセントが。試しにスマホの充電器を差してみましたが、通電はしていないようでした(左/上)。

(右/下)はデッキと客室内の仕切扉の取っ手。数々の利用者に使われてきただけあって傷が入っていますが、それゆえ独特の風合いになっていると思います。

トイレ

トイレは一般家庭用のものに交換されていますが、写真右側に見られる手洗台を含め、水道を新たに引いて使えるようになっていました(左/上)。

また、入口脇には「便所」のプレートが(右/下)。プレートの下部分には「停車中は使用できません」の文字がうっすらと見えます。

なお、20系客車の中にあるトイレは和式のみですが、洋式トイレが本館にあります。

奥のデッキ

入口は2箇所あり、先に紹介したのが手前の入り口。こちらが奥の入り口です(左/上)。

ドア脇には、レプリカながら行先表示が残されています。行先は「急行さんべ 博多|米子 6号車」を掲出(右/下)。

【コラム:20系の行先表示板】

20系の現役時代は、到着地の字幕裏の照明を点滅させることで行先を示していました。 例えば「博多」が点灯、「米子」が点滅の場合は「博多発米子行き」の意味です。

デッキ(左/上)と配電盤(右/下)の様子。

「非常口」のサイン、床部分に敷かれた人工芝、「関ロッジ」への移設時に設置されたと思われる照明スイッチなどを除き、現役時代から大きく手を加えられていないものと思われます。

ステップ部分(左/上)とドアの注意書き(右/下)。ステップは腐食が進行しており、痛々しさを感じます。

車掌室

スタッフの方のご厚意で車掌室を撮影させていただきました。入口(左/上)と内部(中)の様子です。末期は物置として使われていたらしく、車掌用の機器はほぼ撤去されていました。

わずかにスイッチ類などが残っています(右/下)が、これは現役時代からあったものでしょうか。

車掌室内の乗務員用灰皿(左/上)と、車号の様子(右/下)。

「乗務員室内の灰皿」は今の時代では考えられない設備ですが(苦笑)、国鉄時代の車両ではいわば“標準装備”でした。

おまけ:各部屋の名前

20系客車内の各部屋には、実在する列車の名前がつけられており、1号室から順に「ひかり」「こだま」「やまびこ」「あおば」「はやぶさ」となっていました(4号室は忌み番号のためか欠番)

「はやぶさ」は、もちろん(新幹線ではなく)ブルートレインの方と思われます。すでに廃止された「あおば」があるあたり、関ロッジの20系の長い歴史を感じます。

おまけ:国民宿舎「関ロッジ」の食事

夕食(左/上)と朝食(右/下)の様子。国民宿舎時代の「関ロッジ」ではイノシシ鍋が“名物”だったようで、夕食でもご覧の通りイノシシと白身魚(確かタラだったと記憶)の鍋が提供されていました。

他方、朝食は塩シャケに卵焼きがメイン。“ザ・旅館の朝食”といった雰囲気ですね。

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概説

デビュー年:1985年(20系が移設された年)

国民宿舎「関ロッジ」とは、三重県亀山市にかつて存在した国民宿舎。通常の宿泊施設(本館)にかつて寝台急行「ちくま」「さんべ」などに使用された20系客車(ナハネ20系2000番台)が併設されていた。

車内は元々3段式B寝台だった車両を改造して、完全な個室が5部屋あった。通常の個室は寝台2区画を用いているが、一部屋だけ1区画のみを使用した部屋が存在。毛布やシーツなどは宿泊料金に含まれていた。

宿泊料金は一泊二食付の「ブルートレイン宿泊プラン」で一人5400円から(2014年3月現在)。本館に風呂・自動販売機・売店があった。

2014年7月下旬頃から、車両の老朽化のため20系車両への宿泊プラン受付を中止していたが、その後2015年3月31日をもって、国民宿舎「関ロッジ」自体が閉館した。建物は残され、2017年から民間の事業者がゲストホテル「関ロッジ」として運営中。20系客車も残存しているものの宿泊はできず、2023年3月現在、ブルーシートをかけられた状態で保存されている。

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