24系「あさかぜ」
随分と昔の話になるのですが、東京~下関・博多にはかつて「あさかぜ」と呼ばれるブルートレインが走っていました。「走るホテル」とも評された20系寝台客車のデビューとともに、1956年に運行開始。以後、東京~九州の大動脈として一時代を築きます。
しかし、新幹線の開業や航空機の台頭で利用者は年々減少。使用車両は14系15形→24系25形に置き換わりましたが、1994年に東京~博多間を結んでいた1往復が廃止されました。残った東京~下関間も2005年の改正を以て廃止されています。
さて、このページでは2004年1月に撮影した「あさかぜ」最末期の様子をご紹介します。当時、車内をまだ撮影するという発想がなかった頃なので枚数は少ないですが、資料としてご覧いただければと思います。
撮影日時・場所
撮影日:2004年1月
撮影場所:「あさかぜ」 東京駅 車内
備考
この写真を撮影した2004年当時、私はまだ義務教育期間中だったため、写真の質についてはお許しください。
B寝台
編成中の大半を占めていたB寝台車の様子(→「備考」も参照)。
当時の下関地域鉄道部・下関車両管理室に所属していた24系25形で、寝台は紺をベースにストライプが入る珍しいモケットが採用されていました。
【備考:最末期の「あさかぜ」乗車率事情】
廃止が発表されるまでは、下りの横浜発車時点でB寝台が丸ごと1両カラッポということも珍しくありませんでした。
4号車 ロビーカー(スハ25形300番台)
「あさかぜ」の4号車に連結されていたロビーカーの外観。
ロビーカーのスハ25形300番台は、「客車ながらパンタグラフがある」という点で異彩を放っていました(→「備考」も参照)。
【備考:客車なのにパンタグラフがあったスハネ25形300番台】
1989年に当時の「あさかぜ(下関)」「瀬戸」のグレードアップを行う際、12系から改造して24系25形に編入されたのがこのスハ25形300番台です。改造にあたり、「あさかぜ(下関)」「瀬戸」が全区間で直流電化区間を走ることから
「それなら架線から集電すれば、電源車がいらなくなる」
という理屈で、客車なのにパンタグラフが設置されました。要するに、単なるロビーカーだけではなく「電源車」の役割も担っていたわけです。
なおイレギュラーで電源車が連結される場合は、パンタグラフを下ろして「普通の客車」として振る舞うことも可能だった模様。今から思えば、かなりぶっ飛んだ設計だったように感じずにはいられません(笑)。
ラウンジ車内の様子。
奥にはカウンターがあり、1997年頃までは売店として使用されていました。ソファーのモケットがグレーなためか、車内はどことなく殺風景な雰囲気です。
「あさかぜ」方向幕
「あさかぜ」の字幕。
車両がJR西日本所属だったため、字幕の体裁は同社のそれに則ったものになっていました。
概説
デビュー年:1972年(車両)
寝台列車の主力車両。当初B寝台は3段式で登場したが、その後寝台列車の需要減少や設備改善のために、現在は全てが2段式になっている。
車体構造はその前に登場した14系とほぼ同様だが、1972年11月の北陸トンネル火災事故の教訓をきっかけに、防火対策を強化したほか、電源は集中電源式が使用されている。
24系の中には、サシ481、489などから改造されて食堂車となったもの(北斗星などで使用)、また20系の電源車カヤ21から改造され、24系の電源車となったものもあるが、後者は全車廃車済み。