200系「鉄道博物館 保存車」
東北・上越新幹線の礎を築いた200系新幹線。鉄路からはとっくに引退しましたが、2007年にさいたまにオープンした「鉄道博物館」に1両が常設展示されています。車内は常時公開されているほか、ときおり運転台の公開も行われています。
0系の保存車が日本各地に数多くある中で、この200系の保存車はかなり少数だったりします。新幹線の「元祖」たる0系と比較はできませんが、この200系も「豪雪地帯での運用に必要な技術」の数々を取り入れた“元祖”に他なりません。これらの技術の中には、スノープラウやボディーマウント構造など、現代のE5系にも形を変えつつ受け継がれているものが多数あります。
それだけにこの鉄道博物館での保存は貴重な存在に他ならないのですが、最近は保存車内部の“ヘタり”が散見されており(後述)、個人的に今後がやや不安だったりします。さっそく見ていきましょう。
モケット
(左)普通席 (中)床 (右)運転席
撮影日時・場所
撮影日:2017年7月・2022年3月(一部)
撮影場所:鉄道博物館 車内ほか
備考
2017年当時は座席のリクライニングが可能でしたが、2023年現在は全て禁止されています。
車内全景
さて、さっそく車内に入っていきます。200系は長期に渡って製造~使用されたことから内装には何パターンか存在するのですが、このK31編成10号車の場合は平成初期に座席が交換されたタイプです。
元々K31編成はE35編成としてデビューし、その後F56編成を経て、山形新幹線の開業時に「つばさ」と併結するための改造・編成替えを施されて1991年頃にK11編成となっています。この際、座席も当時最新型であったR62/R71への交換がなされ、引退までこの内装で使用されていました。
車内は基本的に引退時のままで保存されており、保存に際して特に変わった点は見られません。どこか違和感があるのは、座席のカバーが実際に使われていたものよりやや大きめなためでしょうか。
車内を後ろから見たところ(左/上)と天井の様子(右/下)。座席を良い状態に保つため、背面テーブルの展開は禁止されています。一方、天井は博物館への保存時に、火災報知器と思われる感知器が設置されましたが(写真奥)、それ以外は大きな変化は見られません。
座席(2017年撮影)
現在は座席のリクライニングは禁止されています。以下に紹介する写真は禁止されていなかった2017年の撮影です。
座席の様子。現在は座席のリクライニング・テーブルは固定されており、いずれも展開できなくなっていますが、この写真を撮影した2017年はリクライニングに限り使用可能でした。
さてこの座席、「シートピッチ980mmで回転できるほぼ最初の3人がけ席」という意味で、ちょっとした歴史に残る座席だったりします。200系のシートピッチは980mmですが、この場合3人がけ席が座席横幅の関係で回転できないことから、3人がけ座席は一方方向に固定されていました。車内の中央を境に前後を入れ替えていたものの、車内全体で見ると3~4割程度の人が進行方向と逆向きに着座せざるを得ず、デビュー当初から不評だったようです。
これを解消するため、「座席両端のひじ掛けを分離して、座るところだけ回転する」ことで、3人がけ席を980mmシートピッチのまま回転できるようにしたのがこちら。ちなみに、この座席が200系にちらほら現れ始めた1990年代、似たような状況だった0系でも、似たような座席に交換された車両がありました。
車端部区画の様子。テーブルは一枚板のものが使われています。
展示開始から10年以上を経て、内装はかなり劣化が進行していると言わざるを得ません。座席のクッションがヘタるのはともかく、写真で見ていただいても分かるように、肘掛けはどれもダランと下がってしまっています。その他、後述しますが網ポケット・床面などの劣化が見受けられ、一見きれいに見えても細かいところの痛みが進んでいるのが現状のようです。
座席(2022年撮影)
参考までに、2022年3月に鉄道博物館を訪れた際の写真を。テーブルのラッチ、リクライニングレバーなどは全て固定されており、展開できなくなっていました。また、写真(左/上)を見ていただくと分かるように、一部は破損でもしたのがテーブルがそもそも取り外されている個体も散見されました。
着座は現在も可能です。ただ完全にヘタり切った座面のスプリング、座席そのもののガタつきも相まって、この車両の現役時代を知る身としてはやや悲しいところです。実際に本線を走っている車両と保存車に同じメンテナンスを要求するのは無理な話なのかもしれませんが…。
座席まわりの設備
ひじ掛け部分と網ポケットのアップ。網ポケットもゴムが伸びきっており、痛々しい感じがします。また、背面テーブルは現在は固定されていますが、現役時代はラッチのようなもので固定されており、収納時はテーブルを押し込むだけで勝手に固定されました。
車内設備
通路の様子(左/上)とコートかけ(右/下)。このタイプのコートかけも最近ではめっきり見かけなくなった気がします。
デッキと客室の仕切・デッキ
運転台寄りのデッキと客室の仕切部分はこんな感じ。保存時は仕切扉が開放されています。現役当時はもちろん自動で開閉していましたが、これも現代の赤外線式ではなく、足元のマットに反応して開く方式でした。仕切扉上は号車表記と座席種別のプレートが設けられています。
(参考)現役当時の様子
参考資料として、この座席の現役時代の様子を。この写真を撮影した当時、私は小学校中学年程度だったので、写真の質はアレですがお許しください。
運転台
鉄道博物館の200系は、基本的に車内のみが展示されていますが、たまに運転台も公開されています。私は「電車の車内」が好きとはいえ、一般の旅客が入れない運転台の内部にはそこまで興味を持たないのですが、たまたま運転台公開日に訪れて撮影できたので、ここで紹介してみることにします。
さて、前置きが長くなりましたが運転台の内部はこんな感じ。まだ「新幹線の運転台は高いところ」という概念があった頃の設計なので、運転台は床面から3段ほど上がった位置に配置されているのが特徴です。
運転士席と助手席の様子。一見ではかなりシンプルな作りですが、よく見ると座面や背もたれはかなり複雑な構造をしており、長時間の着席でも疲れにくいような配慮がなされているようです。私は見学時に30秒ほど着座しただけなので長い間座っていると実際どんな感じなのかは分かりませんが(苦笑)、少し座ってみた限りでもそこまで座りにくい座席ではありませんでした。
スピードメーター(左/上)と、運転士席左手にある通信機器(右/下)のアップ。K31編成の10号車は、「つばさ」「こまち」と併結するために連結器が追加設置されており、こちらはその連結作業時に使用するものだそうです。「かんせんひがしれっしゃ2931」というのはコールサインのようなものでしょうか。
概説
デビュー年:2007年(鉄道博物館での展示開始年)
「鉄道博物館」にて保存されている200系について取り扱う。
元K31編成の10号車(仙台・新潟寄り先頭)を務めた222-35は1981年製造。東北・上越新幹線の大宮暫定開業時から在籍するE35編成の先頭車としてデビューした。仙台車両基地(当時)に配属されたことから、晩年を除き東北新幹線を中心に運用されていた。
1985年に240km/h走行対応工事を施されてF56編成、1992年の山形新幹線開業時に「つばさ」との併結列車で使用する目的で、先頭部連結器を装備・8両編成に短縮などの工事が施され、K11編成となった。その後、秋田新幹線の開業時に10両編成となりK31編成に改番。このように、実に4つの編成番号を名乗った経歴である点が特筆される。
「つばさ」「こまち」との併結運用が全てE2・E4系に統一された後は、上越新幹線を中心に運用された。当初は2004年中に廃車される予定だったため、リニューアル工事の対象からは外れていた。しかし2004年の中越沖地震でリニューアル済みのK25編成が脱線して廃車された分の代替として急きょ廃車は見送られ、2006年1月まで使用された。その後、鉄道博物館に展示されて現在に至っている。
「つばさ」「こまち」との連結器を備えた200系として貴重な存在であることから、鉄道博物館でも不定期に係員による連結器動作の実演が行われている。車内も公開されているが、トイレ・洗面台などは立ち入り禁止となっているほか、近年は内装の劣化が目立ちつつある。